天明3年7月、浅間山が大噴火を起こし、鎌原村は火砕流にのまれて、500人近くの村人が亡くなりました
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1.天明三年(一七八三)四月八日
2007年10月16日(火) 11:22
1.天明三年(一七八三)四月八日




 夕暮れの中、薄煙りを上げている浅間山。その南を走る中山道(ナカセンドウ)。江戸へと向かう旅人、上方(カミガタ)あるいは善光寺へと向かう旅人が行き交い、荷物を積んだ馬が鈴の音を鳴らしながら、シャンシャンと行く。

 浅間根越しの小砂利(コジャリ)の中に
      アヤメ咲くとはしおらしや〜

 誰が歌うか、哀愁を帯びた三味線に乗せて馬追歌が流れて来る。中山道が北国(ホッコク)街道と分かれる手前にある追分宿(オイワケジュク)。ここは飯盛(メシモリ)女と呼ばれる女郎(ジョロウ)が大勢いる事で有名だった。

 浅間根越しの小砂利の中に可憐に咲くアヤメとは彼女たちの事。夜ともなれば山の中の宿場とは思えない程、そこだけが明るく、まるで不夜城(フヤジョウ)のよう。旅人はもとより近在の若者たちが、その明かりに吸い寄せられるように集まって来る。賑やかな三味線に流行り歌、客と女たちの笑い声が夜遅くまで絶えなかった。

「油屋でございます。お泊まりなさいませ」

「日野屋でございます。お泊まりなんし」

「もし、柳屋でございます」

 街道に面した旅籠屋から化粧した女たちが道行く男たちを誘っている。鼻の下を延ばして、ニヤニヤしながら女に連れられて行く者。聞こえない振りをして足早に逃げて行く者。中には無理やり女に引っ張り込まれる旅人もいる。

「おい、放しやがれ。腕が抜けらア」

「腕なんか抜けたっていいのさ」

「なに言ってやんでえ。腕が抜けたら、おまんまが食えねえ」

「おまんまなんかより、もっとうまいもんがあるんだよ。ねえ、お泊まりよ。いい思いさせたげるからさア」

「おう、そうか。どうせ、どこかに泊まらにゃアならねんだ。姉さんの世話になるか」

「あんた、いい男だねえ」

「なに、それ程でもねえやな」

 旅人は嬉しそうに油屋へと入って行く。

「おい、見ろや。あのウスノロめ、お竹ババアにとっ捕まりやがった」

「へっ、ざまアねえや。ぶったぐられるぜ」

「まったく、あのババアもよくやるぜ。もう三十路(ミソジ)じゃねえのか」

「なに言ってやがる。おめえだって、お竹にゃアさんざ世話になってるべえ」

「ありゃア騙されたんだ。ババアめ、八つも年をさばよみやがって」

「ほんとの年はなんぼか知らねえが、いつまでも若えババアだよ」

 油屋の隣、大黒(ダイコク)屋の二階の部屋から通りを眺めている三人。浅間山の向こう側、上州鎌原(カンバラ)村からやって来た若者たちである。丈(タケ)の長い揃いの半纏(ハンテン)を着て、自慢の煙管(キセル)をふかしながら通りを眺めてニヤニヤしている。

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2.四月九日
2007年10月18日(木) 12:43
2.四月九日




 静まり帰った真夜中、突然、ドカーンと物凄い音と共に家が揺れ、市太は目を覚ました。隣に寝ていたお浜は目を丸くして市太の腕にしがみついている。

「おい、なんだ、地震か」

「何なの、一体。さっき、物凄い音がしたわ。こんな夜中に雷が落ちたのかしら」

「雷だと? 馬鹿言うねえ。雷と地震が一緒に来たってえのか」

 雷の方は治まったようだが、地震の方は治まらない。部屋がミシミシ揺れて、障子(ショウジ)がガタガタ言っている。

「おい、こいつア危ねえぞ。うちが潰れるかもしれねえ。早く、外に逃げた方がいい」

「逃げるったって、こんな格好じゃア」

「ゴタゴタ抜かしてねえで、さっさと着ろ。死にてえのか」

 そう言いながら市太も素早く、着物を着る。隣の部屋から勘治が顔を出した。

「市太、すげえ地震だぜ。どうする」

「なに、のんきな事言ってやがんでえ。さっさと支度しやがれ」

 廊下からドタバタと騒ぐ音が聞こえて来る。みんな、慌てて逃げ出しているらしい。

「おう、行くぜ」と市太はお浜の手を引く。

「ちょっと待ってよ。まだ帯が」

「帯なんか後でいい」

 綿入を羽織っただけのお浜を連れて、市太は部屋を飛び出した。

 揺れはちっとも治まらない。暗い廊下を壁にぶつかり、人にぶつかり、やっとの思いで通りに飛び出した。外に出れば大丈夫だろうと思ったが、地面までがグラグラ揺れている。

 表通りは旅籠屋(ハタゴヤ)から飛び出して来た者たちでゴッタ返している。怒鳴り声や女の悲鳴、馬のいななきで騒々しい。

 宿場の若い者が提燈(チョウチン)を振り上げて、「火の用心、火の用心」と叫びながら走り行く。

「浅間焼けだア〜」と誰かが叫んだ。

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3.四月十三日
2007年10月20日(土) 11:52
3.四月十三日




 鎌原村を見下ろす西の高台に観音堂がある。

 村の中央を走る表通りから、惣八の家『炭屋』と旅籠屋『扇屋(オオギヤ)』の間にある通りへ曲がり、しばらく行くと『十日の窪(クボ)』と呼ばれる窪地に出る。そこに小さな稲荷社(イナリシャ)があり、道は二手に分かれる。左に行けば西窪(サイクボ)村、あるいは大前村、大笹宿(オオザサジュク)へと行く。正面の細い坂道を登って行くと途中から石段があり、その上に観音堂があった。観音堂の裏側は深い原生林になっているが、表側の眺めはよく、浅間山が見渡せた。その観音堂の裏手に若衆(ワケーシ)小屋がある。九年前に大工の八右衛門が建てたもので、若い者たちが芝居の稽古(ケイコ)や会合(カイゴウ)に利用している。

 村の中程、東側にある諏訪明神の森の中に芝居の舞台があり、その近くにも若衆小屋はある。以前はそこに集まって芝居の稽古をしていた。やかましい婆さんが近くに住んでいて、夜遅くまで稽古をしていると必ず、文句を言いに来た。それが毎晩の事なので、これでは稽古ができないと村から離れた観音堂の裏に小屋を建てたのだった。その婆さんも三年前に亡くなり、今では下の小屋でも稽古ができるようになった。しかし、下の小屋では中老格(チュウロウカク)の者たちが稽古をするので、市太たち下っ端はもっぱら、観音堂の小屋を利用していた。

 若衆組は十五歳から三十歳までの男たちの組織で、祭礼の奉仕、村内警備、消防、婚姻の仲立ちなど村の行事を中心になって行なっていた。二十五歳から三十歳までを中老と呼び、若い者たちの指導に当たった。

 市太と惣八、同い年の安治が芝居の稽古をするためにやって来たのだが、いつしか飽きてゴロゴロしている。そこにやって来たのが、エレキテルで有名な平賀源内(ゲンナイ)の門人という風変わりな浪人、片桐錦渓(キンケイ)。万座山の硫黄(イオウ)採掘をしている江戸の薬種(ヤクシュ)問屋、小松屋に頼まれて、明礬(ミョウバン)を捜し回っている。明礬は媒染(バイセン)剤や革のなめし剤、絵の具の滲(ニジ)みを防ぐために使う礬水(ドウサ)の材料となり、傷の治療などにも用いられた。五日前、小松屋と一緒に万座の硫黄を調べに来た錦渓は、浅間山麓に明礬があるに違いないと確信を持ち、鎌原村に腰を落ち着けて、毎日捜し回っていた。

 平賀源内は四年前の安永八年(一七七九)の暮れ、人を殺して投獄され、そのまま牢屋の中で亡くなった。有名な浄瑠璃(ジョウルリ)『神霊矢口の渡し』を書いたのが風来山人(フウライサンジン)と呼ばれる源内先生だと市太たちも知っているが、詳しい事までは知らない。錦渓が源内の事をあれこれ面白く話していると娘たちが顔を出した。おなつ、おなべ、おゆうの三人娘。

「やっぱり、ここにいたのね。もう馬方稼業は終わり?」

「やっと終わったよ。まったく、まいったぜ」

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4.四月十六日
2007年10月22日(月) 13:04
4.四月十六日




 四月も半ばになるというのに、いつまでも寒い。今朝はまた格別で、大霜(オオジモ)が降って農作物は全滅となってしまった。朝早くから村人たちは畑に出て大騒ぎ。他の村とは違って、馬方稼ぎがあるとはいえ、やはり、農作業が中心だった。村人たちは頭を抱え、村役人を中心に今後の対策を練っている。

 村中が大騒ぎしているというのに、そんな事、どこ吹く風かと例のごとく、暇を持て余しているのは市太、勘治、惣八の三人。観音堂裏の若衆(ワケーシ)小屋で芝居の稽古とは名ばかりでゴロゴロしている。おなつたちは雪之助の所に通って、朝から晩まで三味線を弾いて唸(ウナ)っている。お染久松(ソメヒサマツ)、おさん茂兵衛(モベエ)、梅川忠兵衛(チュウベエ)と心中物に、もう夢中。市太たちが遊びに誘っても見向きもしない。

「こいつアたまらねえや」

 寝そべって本を読んでいた惣八が腹を抱えてゲラゲラ笑う。

「そんなにも面白えのか」と勘治が本を覗く。

 一見しただけだとただの浄瑠璃(ジョウルリ)本、ところが内容は大声では読めない春本(シュンポン)だった。作者は平賀源内、弟子の錦渓(キンケイ)からの借り物で『長枕褥合戦(ナガマクラシトネガッセン)』という。

「面白えも何もねえ。こいつアすげえよ。人形芝居(シベエ)にすりゃア、もう大うけ間違えねえ」

「どれ、俺にも読ませろ」

「待て待て、もう少しだ」と惣八は一人笑いながら、本を持って逃げて行く。

「へっ、勝手にしろい」と勘治はつまらなそうに煙草(タバコ)をふかしている市太の側に行く。

「なあ、市太、やっぱり、博奕(バクチ)をやろうぜ。まったく、退屈でしょうがねえ」

「ダメだ。今まで何のために我慢して来たんだ。今さら、博奕なんかやれるか」

「チェッ、つまんねえ」

「おめえだって、いい役を貰ったじゃねえか」

「そりゃそうだけどよ、隣村辺りでやりゃア、わかりゃアしねえだんべ」

「そうはいかねえ。博奕を打つんは馬方連中だ。噂はすぐに広まっちまう」

「そうか。それじゃア大笹にでも行くべえ。今日は市日(イチビ)だぜ。久し振りに行ってみねえか」

「大笹か‥‥‥」と言ったきり、市太は乗って来ない。

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5.五月十二日
2007年10月24日(水) 12:12
5.五月十二日




 四月九日の浅間焼けから一月が過ぎた。

 浅間山はすっかり落ち着いて、いつものように三筋の煙を上げている。山守(ヤマモリ)の爺さんの心配は取り越し苦労に終わったようだ。

 五月に入ると、いよいよ芝居の稽古も本格的になり、立ち稽古が始まった。去年、『義経千本桜』の序幕と二幕目を演じ、今年は三幕目と四幕目。三幕目の『渡海屋(トカイヤ)の場』『大物浦(ダイモツウラ)の場』には、市太が演じる『いがみの権太』の出番はない。四幕目の『下市村(シモイチムラ)の場』になって、ようやく出番が来る。そして、来年やる予定の五幕目『鮨屋(スシヤ)の場』では『いがみの権太』は主役だった。

 勘治の役、下女のおとくは三幕目に登場し、惣八の駕籠(カゴ)かきは四幕目に登場する。二人とも市太の役に比べれば随分と楽な役。それでも、今年の演技次第で、来年はいい役が貰えるかもしれないと張り切っている。市太にしても今年、うまく演じなければ、来年も権太をやれるとは限らない。仕事を終えて、皆が集まって来る前から稽古に余念がなかった。

 今日は芝居の稽古も休み。市太と勘治、おなつ、おなべ、おゆうはおゆくの茶屋『桔梗屋』に集まって、夕方から酒を飲んでいる。惣八は一昨日、家の金を持ち出したのがばれて、家から出して貰えない。勿論、その金は市太らと追分宿で遊んでしまった。

 おなつたちが雪之助から義太夫(ギダユウ)を習い始めて早一月が経ち、三味線を持つ手も様になって来た。初めの頃はあの時、雪之助を聞いたおなつたち三人とおゆく、市太の妹のおさや、枡屋(マスヤ)の娘のおみやだけだったのが、今では村の娘たちがこぞって習っている。三味線のある者は畑仕事の合間にも弾き語り、ない者は口三味線でやっている。朝から晩まで三味線の音が鳴り響き、花街にいるような賑やかさ。しかも、皆、同じ義太夫を唸っている。どこに行っても、お染がどうした、久松がどうしたとやかましい。

 雪之助は娘たちに教えるだけでなく、毎晩、どこかに呼ばれて義太夫を披露している。夏の土用が来るまで草津もそれ程忙しくはないので、それまで、ここで稼ごうと腰を落ち着けてしまった。

「おい、勘治、雪之助に夜這(ヨベ)えをかけた野郎はいねえのか」

 突然、市太に聞かれ、勘治はむせて酒を吹き出した。

「もう、汚いわねえ」とおゆうが勘治が肩から下げている手拭(テヌグイ)をつかむと汚れた所を拭く。

「おい、そいつを使うな。大事(デエジ)な手拭なんだ」

 勘治はおゆうから手拭を引ったくる。

「なに言ってるのよ。自分が汚したくせに」

「まったく、もう」と勘治は手拭の汚れを気にしている。

「おい、おめえ、むせるとこをみると、てめえで夜這えをかけやがったな」市太が笑いながら聞く。

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6.五月十九日
2007年10月26日(金) 13:00
6.五月十九日




 芝居を見て感激した市太と勘治は提燈(チョウチン)をぶら下げ、人形町通りを北に向かっていた。

「やっぱり、本場の芝居(シベエ)は違うなア。何というか、花があらアな」興奮して勘治が言う。

「当たり前(メエ)だア。成田屋、三河屋、紀伊国屋(キノクニヤ)、路考(ロコウ)に杜若(トジャク)、千両役者が揃っていやがる。やっぱり、来てよかったなア」と市太も感動している。

 二人とも江戸っ子を真似て、さっぱりした身なりをしているが、どことなく田舎臭い。

「暗くなっちまうと道がよくわかんねえな」

「大丈夫(デエジョーブ)さ。任せときねえ」と市太は自信たっぷりに言うが、いつもの事だ、当てにはならない。

 二人はキョロキョロしながら、今朝通った時、覚えておいた目印を捜す。

「おい、大丸(デエマル)があそこにあるぜ。てえ事ア次の大通りを曲がるんだ」

「そうだっけ」

「そうさ。そこを曲がりゃア、馬喰町(バクロチョウ)に出る」

「馬喰町まで行きゃア、柳橋はすぐだな」

「そうさ。猪牙(チョキ)に乗って吉原(ヨシワラ)に繰り出そうぜ」

「いいねえ」

 道もよくわからないくせに、言う事だけは一丁前の江戸っ子だ。

 錦渓(キンケイ)と一緒に二人が江戸に着いてから、今日で三日目、二人にとって、毎日が驚きの連続だった。二人共、江戸に来たのは初めてではない。市太は十九の時、叔父に連れられ、初めて江戸に来て、本場の芝居を見て感動した。翌年にも、村人たちと一緒に江戸に芝居を見に来ている。勘治や惣八も、その時は同行した。勿論、芝居を見ただけでなく、名所見物もしている。それなのに、今回の旅は、まったく、驚きの連続だった。まるで、一生のうちに経験する驚きを短期間のうちに経験したようだった。

 江戸に着いたのは鎌原を出てから五日目。村を出てから江戸への道程(ミチノリ)は別に変わった事もない。初日が生憎(アイニク)の雨降りだったが、後はいい天気。途中、飯盛(モシモリ)女のいる宿場に泊まっても、女郎(ジョロウ)を買う事もなく、真っすぐ江戸へと向かった。

 中山道を本郷まで行き、左に曲がり、不忍(シノバズ)の池へと出た。明礬(ミョウバン)捜しを錦渓に頼んだ薬種問屋の小松屋は不忍の池の近くにあった。錦渓が小松屋と話し込んでいる間、市太と勘治は弁天様をお参りした。その夜は小松屋に泊まるのだろうと思っていると、錦渓は小松屋と一緒に吉原へ行くと言い出した。二人も今回は密かに吉原に行こうと決めていたので、目を輝かせて連れて行ってくれと頼んだ。錦渓は気楽に来いと言ってくれた。

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7.五月二十五日
2007年10月28日(日) 12:59
7.五月二十五日




 市太と勘治が吉原で、いい気になって遊んでいる時、郷里鎌原村では大騒ぎが起きていた。浅間山がまた噴火したのだった。

 二人が旅立って三日目の十五日の昼過ぎ、なりをひそめていた浅間山がゴロゴロと唸り出し、黒い煙を吹き上げ、鎌原村は大揺れした。畑に出ていた村人たちは立っている事もできず、地にひれ伏しながら不安そうに浅間山を見上げた。

 市太がいないので、家を出る事を許された惣八は安治と一緒に観音堂裏の若衆(ワケーシ)小屋で、いつものようにブラブラ。突然の揺れに驚いて、慌てて小屋から飛び出し浅間山を眺めた。

 おなつとおなべは『鶴屋』から『扇屋』に移った雪之助の部屋で、義太夫の稽古をしていた。三味線を抱え、二階の部屋から転がるように階段を降りて外に飛び出した。浅間焼けを初めて目にする雪之助は青ざめ、恐ろしさに身を震わせた。

 その日の揺れは四半時(シハントキ、三十分)程で治まり、灰が降って来る事もなかった。いつもの事だと皆、一安心して仕事に戻ったが、翌日は一時(イットキ、二時間)近くも揺れが続いた。雪之助はもう村を出て行くと言い出し、おなつたちはもう少しいてくれと必死で引き留めた。

 市太の祖父、市左衛門はやはり、山守(ヤマモリ)の隠居、長兵衛の言った事は正しかったのかと見直し、改めて、家代々残されている浅間焼けに関する文献を漁っていた。

 その時は二日だけで何とか静まり、一日様子を見て、次の日から田植えが始まった。田植えが始まれば、娘たちものんきに義太夫をやってはいられない。おなつやおなべも朝早くから田圃(タンボ)に出て働いた。男たちも馬方稼業が忙しかった。

 参勤交代で六月から信州須坂のお殿様の江戸詰めが始まるため、須坂藩の飯米(ハンマイ)が大笹から次々に送られて来た。男衆(オトコシ)は米を積んだ馬を引いて狩宿まで何往復もした。

 村中が大忙しのそんな頃、おゆうが斜(ハス)向かいに住む、おしまという娘と一緒に草津へと働きに出た。勘治は家柄など関係ないと言ったが、姉と同じように、おゆうは勘治の事を諦めて、家のために働きに出たのだった。浅間焼けを恐れた雪之助もおなつたちが止めるのも聞かず、一緒に草津に行ってしまった。

 須坂藩の荷物も運び終わり、田植えも一段落した次の日、二十五日の朝、浅間山が再び、ゴロゴロ言い出した。その日は朝から雨降りで、浅間山の灰が混じって黒い雨が降って来た。揺れはそれ程ひどくはないが、地鳴りはいつまでも続いた。村人たちは皆、仕事を休み、家に籠もってお山が静まるのを祈った。 昼近く、雨も小降りとなり、家で退屈していたおなつはおなべを誘って観音堂に登り、若衆小屋に顔を出した。例のごとく、惣八と安治がいた。芝居で惣八と一緒に駕籠(カゴ)かきを演じる丑之助(ウシノスケ)もいて、何やら、ヒソヒソと相談している。丑之助は山守の隠居、長兵衛の孫だった。

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8.五月二十六日
2007年10月30日(火) 12:47
8.五月二十六日




 浅間山の地鳴りは一晩中やまなかった。村人たちは不安におののき、ろくに眠れなかった。それでも、翌日はいい天気で、浅間山を眺めながら無事を祈って田畑へと出掛けて行った。馬方たちも浅間山を眺めながら平気を装い、馬追唄を歌いながら出掛けて行った。

 市太は幸助(コウスケ)の家で目が覚めた。揺れは気になっていたが酒の酔いと旅の疲れでぐっすり眠った。鉄蔵も一緒だった。

 幸助の家は勘治の家の隣、その隣には諏訪明神の森がある。すでに両親ともになく、弟二人と妹が一人いるだけ。うるさい親がいないので、市太たちの溜まり場にもなっている。鉄蔵は勘治の家に世話になる予定だったが、肝心の勘治が草津に行ってしまっていない。絵が好きで、舞台の背景を担当している幸助は喜んで、鉄蔵を客として迎えた。その夜は、ささやかな歓迎の宴を開いた。惣八、安治、丑之助、おなつ、おなべもいたはずなのに、市太が起きた時は鉄蔵しかいなかった。

 市太は鉄蔵を連れて『桔梗屋』に行った。桔梗屋で腹拵えをして、おなつを誘って村の中を案内し、観音堂の石段を登っている時だった。耳が割れるかと思う程の大きな音が響き渡り、石段がグラッと揺れた。

「何事だ」と鉄蔵が身を伏せながら聞く。

「お山が焼けたんだ」と市太はしがみついているおなつを抱き締めながら答えた。

「ここは危ねえ。早く上に行こう」

 揺れる石段を這(ハ)うようにして上まで登り、浅間山を見ると、そこには信じられない光景があった。浅間山の頂上から真っ黒な煙が太い筒のように空高く伸びている。ゴーゴーと唸(ウナ)りを上げ、物凄い量の煙を吹き出している。

「すげえ‥‥‥」と鉄蔵は松の木にすがりながら呟(ツブヤ)いた。

 市太はあまりの驚きに口をポカンと開けたまま、浅間の煙を眺めている。おなつは膝を震わせ、市太にしがみついたまま、目を丸くして浅間山を見つめている。

「すげえ‥‥‥」鉄蔵は市太を見て、「こんなのがよくあるのか」と聞く。

「あるわけねえ。こんなの初めてだ」

「こいつアすげえぞ」と言うと鉄蔵は座り込み、懐(フトコロ)から手帳と矢立てを出して絵を描き始めた。

 青空はいつの間にか灰色になり、辺りは夕方のように薄暗くなった。やがて、白い灰が降り始めた。揺れがいくらか納まって来たので、市太はおなつを連れて若衆(ワケーシ)小屋に入った。鉄蔵は場所を変えながら、降って来る灰も気にせず、絵に熱中している。

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9.五月二十七日
2007年11月01日(木) 12:45
9.五月二十七日




 そのまま治まるかに見えた浅間の噴火は、次の日の夕方七つ(午後四時)頃、またもや、大音響と共に大揺れした。その時、市太は珍しく、家の仕事を手伝っていた。半兵衛と一緒に明日、運ぶ荷物の荷造りをしていた。

「くそっ、延命寺の御祈祷(ゴキトウ)も効かねえのか」と半兵衛が積んである荷物を押さえながら、浅間山を見上げた。

 昨日の大爆発ほどではないが、煙の量は増えている。

「若旦那が柄にもねえ事をしたから、お山の鬼が騒ぎ出したか」半兵衛は市太を見ながら苦笑した。

「よしてくれよ」

「冗談じゃ。それにしても、昨日のような怪我人が出なけりゃいいがな」

 家の中から兄の庄蔵と叔父の弥左衛門も飛び出して来て、浅間山を見上げた。

「まったく、いつまで続くんだ」

「そいつがわかりゃア世話はねえ」

 大揺れは一度だけだった。地鳴りは続き、灰が降って来た。仕事が終わると市太は手拭いで頬被りして、おろくの家に向かった。父親の見舞いを口実に、おなつにやろうと買って来た江戸土産の銀の簪(カンザシ)をおろくにやろうと、いそいそと出掛けて行った。

 おろくの家の前に来た時、ふと三治の姿が目に入った。村の外れ、おすわが嫁いだ源七の家の前辺りに一人で立っている。気になって側まで行ってみると、何と用水の中に小便をしていた。山から引いた用水は村人にとって井戸水と同じ、そんな所に小便をされたらたまらない。市太は慌てて、三治を捕まえた。

 三治は平気な顔して小便をしている。市太は三治の向きを変えた。長小便を終えると市太を見て、「ハハ、若ランナらア」と指をさした。

 どうやら、市太の事はわかるらしいが、馬のような一物(イチモツ)をふんどしから出したまま、しまおうともしない。

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10.六月一日
2007年11月03日(土) 11:30
10.六月一日




 今日は山の口開け、山の草刈りが解禁となる。二百頭もの馬を飼っている鎌原村では、馬草(マグサ)刈りは重要な仕事。浅間山も静まり、皆、夜明け前から草刈りに出掛けて行った。

 江戸から帰って三日間は、真面目に稼業を手伝っていた市太も仕事に飽きて、いつものように観音堂裏の若衆小屋でゴロゴロしている。

 市太と勘治が勝手に江戸に行ってしまい、いがみの権太と渡海屋のおとくの役は他の者に代えろという意見が出たらしい。若衆頭の杢兵衛が二人を庇い、帰って来てから演技を見て、ダメだったら替えようという事になった。江戸から帰って来たその晩に市太、草津に行ってしまった勘治は次の晩に、それぞれ演技を披露して無事に合格点を貰った。暇を持て余していた二人は、この小屋でたっぷり稽古を積んでいたのだった。

 おろくの父親が怪我をしてから、市太は毎晩のように見舞いに行って、おろくと会っていた。舞台の上の自分を見せたくて、稽古を見に来いと誘うのだが、忙しいのか一度も来ない。それでも、市太は気長に構えて、何としても、おろくをものにしようと考えている。

 市太がおろくと会っている事を知って、おなつは怒り、若衆小屋にも顔を出さなくなった。勘治はすっかり真面目になって、市太たちとは遊ばない。最近、若衆小屋に集まって来るのは惣八、安治、丑之助、そして、時々、鉄蔵が顔を見せるくらいだ。惣八とおなべの仲は続いているらしいが、おなつが来ないので、おなべも一人では来なかった。

「おい、市太、おめえ、おろくに夢中になってるようだけど、あんな女のどこがいいんでえ」と惣八が市太の江戸土産、北尾重政(シゲマサ)の艶本(エホン、春本)を眺めながら不思議そうに聞く。

「いい女だんべが」と横になって、おろくの事を考えていた市太は言う。

「まあ、いい女には違えねえけどよ、面白くも何ともねえ女だぜ。一緒に遊ぶっちゅう女じゃねえや。まさか、おめえ、嫁にするつもりなのか」

「馬鹿野郎、勘治じゃあるめえし、そんな事ア考えた事もねえよ」

「ただ、一発やりてえだけか」

「まあな。あのすました顔で、どんなよがり声をあげるのか見てみてえのよ」

「それなら簡単じゃねえか。どこかで待ち伏せでもして、やっちまえばいい」

「そうもいかねえ。なかなか、うちから出ねえからな。まず、何とかして、うちから出さなくちゃアならねえ」

「へっ、気の長え話だ」

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